大学改革や制度をめぐる議論では、学長という立場の意思決定に注目が集まりがちです。一方で、大学の運営には、理事会や教授会、教職員との日々のやり取りが欠かせません。桜美林大学の学長を務める畑山浩昭氏は、「一人で決めようとすると、かえってうまくいかない」と語ります。
後編では、学長という仕事がどのような関係性の中で成り立っているのか、そして、コミュニケーションを専門としてきた畑山学長の経験が、大学運営の現場でどのように生きているのかについて話を伺いました。
(インタビュアー:学校広報ソーシャルメディア活用勉強会(GKB48)事務局長 山下研一、取材日:2026年1月26日)
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学長という仕事
山下 話を変えまして、学長という仕事について伺いたいと思います。学長は「孤独だ」とよく言われますが、理事会と教授会の間で調整を迫られる立場でもあります。実際は、いかがでしょうか。
畑山 学長権限でやろうとすると、だいたいうまくいきません。やはりコミュニケーションがポイントでしょうか。コミュニケーションがなくなると孤独になるし、一人で抱えすぎるとうまくいかなくなり、反発を生むこともあります。
本学でも理事会や大学運営会議、教授会など、いろいろな会議体があります。そこで参加者がアイデアを持ち寄って、ベストな形を考える。みんながいろいろ意見を言ってくれるので、最後に学長が「じゃあ、こうしよう」と言えばいい。一人で決めようとするから、孤独になるんじゃないかと思います。ウチは職員も教員も、誰でも言いたい放題ですよ(笑)。
学長は全てを見ているわけではありません。たとえば、ここ(町田)にいても、東京ひなたやまキャンパスや新宿キャンパスなどの現場のことは日常的には分からない。学務や入試など、現場の課題は言ってもらわないと見えてこない。だから「こういう課題がある」と言ってもらって、それをどうするか会議体の議論を利用しながら指示を出す。そこまでやれば、学長の基礎的、本来的な仕事は終わりだと思っています。
山下 「持ち回り」で決められるような学長もあるようですね。学部を代表して出てきて、3年、5年という任期で改革しようにも時間が足りず、結局何もしないまま終わってしまう、そういう大学もあるように聞きます。
そのなかで畑山先生は、発信という意味でも、運営という意味でも、学長としての存在感が大きいと感じています。それは、これまでの研究されてきたことや、学ばれてきたことが、大学運営に反映されているからなのではないかと思いました。
畑山 確かにアメリカのMITで学んだマネジメントには役立っていますね。大学院の博士課程ではレトリック学を研究してきたのですが、基本は説得のコミュニケーションです。人の納得や心理、社会や文化との関わりを考える学問ですね。文学や言語学もやっていましたし、MBAでは、マーケティング、ファイナンス、ストラテジーまで、一通り学びました。
それを実務に落とし込むとき、教科書どおりにやってもうまくいかないことが多い。大学ではどうやればいいのかを考えながらやってきました。そういう意味では、自分が勉強してきたことは、学長の仕事にかなり役に立っていると思います。
学長の影響が大きい大学規模
山下 コミュニケーションを学び、そのうえでマネジメントを学ばれているのは、強いですね。
畑山 座学としては、そうかもしれません。ただ、大学の規模や歴史やブランド力も関係していると思います。桜美林大学だと、まだまだ学長によって、大学が受ける影響は結構大きい。
東京大学や早稲田、慶應のような大学は、学長・総長が重要なのは確かですが、個人によって組織が簡単に崩れることはない。ブランドとして、組織が成り立っているからです。そういう仕組みとして成り立つ大学に持っていけるのが理想です。
その点でいうと、本学の場合は、元理事長の故・佐藤東洋士先生の存在は、本当に大きかったと思います。

鹿児島県の高校教員からアメリカ留学へ
山下 少し個人的なお話を伺いたいと思います。桜美林大学を卒業され、鹿児島県の高校に臨時採用で赴任され、その後アメリカへ留学されるまでの経緯について、ぜひお聞かせください。実は私も鹿児島出身で、県内の高校を訪問する仕事をしておりましたので非常に関心があります。
畑山 大学は英語英米文学科でした。父が中学の教員だったので、「教職は取れ」と言われていたので教育職員免許状を取りました。ところが鹿児島の教員採用試験に落ちたんです。それで就職活動をして、新大久保の小さな会社に決まりました。人工衛星の計算システムを作っているようなIT企業で英語が少しできる人材がほしいとのことだったのです。
ところが、教育委員会から実家に電話があり「非常勤でどうか」と。迷いましたが、結局教員になることにしました。東京の会社の社長には謝りに行き、3月末に教育委員会へ行くと、屋久島への赴任が決まりました。その後、志布志、錦江湾と計3校を回りましたね。
錦江湾高校の頃、英語教育のカリキュラムが大きく変わりました。文法中心・精読中心から、コミュニケーションや会話中心へ。教科書にはイギリスやアメリカの生活シーンが多く出てきますが、私は実際に向こうで生活した経験がない。それで英語を教え続けていてよいのか、という疑問がありました。
そこで育英財団のプログラムで、一年間の研修の機会を得るところでした。研修後、高校に戻ってくる気でいたのです。ところがちょうど同じタイミングで、大学時代の先生から「留学しないか(アメリカに来ないか)」と声がかかり、思い切って教員を辞め、アメリカへ行きました。
英語の教員といっても、実際に英語を教えている時間より、担任業務や生活指導の方が中心で、少し疲れていました。そうしたことも重なり、留学を決意したというわけです。
一旦、高校に戻るはずだった
畑山 修士課程が終わったら、一旦、高校に戻るつもりでした。しかし修士2年が面白く、さらに博士課程へ進みました。授業料免除の奨学制度もあり、別の大学へ移って、レトリックやコミュニケーション研究を深めました。
当時は日本のポップカルチャーが人気で、日本語や日本文学の授業には多くの学生が集まっていたので、博士課程に在籍しながら、日本語や日本文学を教えていました。アメリカの州立大学でそのまま教える話もまとまりかけていました。
ところがアトランタ・オリンピックの際に当時の桜美林大学の学長が訪米し、会うことになりました。会って30分ほどで、「帰ってこないか」と。ネイティブ教員が多数いて、英語と日本語ができる仲介役の教員が必要だという話でした。それで帰国し、桜美林でのキャリアが始まったというわけです。
高校の教員が嫌だったわけではありません。ただ、このまま英語を教え続けてよいのかという迷いと、公立学校の忙しさ、そして留学したいという思いが重なった結果でした。
山下 いや、かなりの勉学意欲ですね。
畑山 私は、興味や関心が来るのが人より少し遅いのだと思います。20歳で思うことを、30歳くらいで考え始める、そんな感じです。高校の時もそうでした。
山下 ご出身の高校は鹿屋高等学校ですよね。鹿屋高等学校は、大学より講師を招いて講義を行う取り組みを続けています。とても熱心な学校ですね。
畑山 はい。創立百周年のときに講演で伺いました。そのときに話を聞いていた生徒が、後に桜美林大学に入学しました。
山下 それはうれしいですね。出張講義や相談会は、その場ですぐに結果が見えるものではありませんが、数年後にこうしてつながることがある。大学の広報や教育の面白さでもありますね。
ありがとうございました。(了)
桜美林大学 学長 畑山浩昭 氏 プロフィール
1962年鹿児島生まれ、桜美林大学文学部卒業。鹿児島県の高校教諭として働いたのち、米国ノースカロライナ大学シャーロット校大学院修士課程修了(M.A.)、ノースカロライナ大学グリーンズボロ校大学院博士課程修了(Ph.D.)。マサチューセッツ工科大学大学院修士課程修了(M.B.A.)専門は文学・レトリック学。2006年に桜美林大学教授、その後、学長補佐、基盤教育院長、国際センター長、副学長の役職を歴任。2018年に第5代学長に就任。自身のXでは大学の取り組み、学生の活躍に加え、趣味やペットの話題も織り交ぜながら発信。